第29号 検査入院の結果報告と、その後の対応です。

2月11日の東京浅草での講演会終了後の深夜に、オシッコ機能が完全ストップして救急車を頼んだ事は、この通信の23号(4月16日発行)に少し書きましたが、その後の経過を書き記してみます。(何人かの方には、その都度ご報告してきましたが、この通信をお読みいただいている方々も、大事な友人でありますので、改めて経過を書いてみたいと思いました。)

2月11日 神戸市の藤井先生とのコラボ講演会が、東京浅草で行われ大成功。その後の懇親会も大いに盛り上がり、最後に主宰していただいた高木書房の斎藤信二社長さんのマンションで二人で乾杯したところまでは、まさに絶好調の天国気分でした。
そしてその深夜、私のオシッコ機能が完全ストップし、これが地獄の苦しみかと、妙に納得するほどの苦しみを味わい、明け方ついに救急車のお世話になったのでした。
その後、地元に帰って街の泌尿器科医院のお世話になっていたのですが、一進一退を繰り返し、とうとう国立病院(弘前市)へ回され、血液検査の結果が「前立腺がんの数値が異常に高い」と言う事で、検査入院の必要あり、と。
4月9日にあられもない格好での検査を受け、その結果発表が4月23日にあったのでした。

「木村さん。10ヵ所検体を取って調べた結果、二カ所にガンが見つかりました。」
面談の日、医者は開口一番、まるで勝ち誇ったように明るく勢いのある口調で話し始め、「はあ、そうですか」という私の返事には耳も貸さずに、「これからMRIの検査をします。その後に、ステージのレベルを調べる検査をします。そして、手術の日程は・・・・」と続きます。
頃合を見計らって、「あのう、せんせい。私は病院にお世話になるのは、今日で終わりにしようと思っているのです。」
「えっ!」
信じられないようなものを見るような顔をした医者は、今度はどうにかして私の考えを覆そうとします。
10分くらい押し問答が続きましたが、やがてあきらめたか、今度はふてぶてしく、「木村さん一人では、決められないのですよ。ガンが進行すれば私の責任になりますから」と、またまた、縷々、病院側のシステムの説明です。
「いいえ。決して先生にはご迷惑をおかけしませんから。」
私はあくまでも低姿勢です。
「それでは、念書を書いていただきます。家族の方にも書いてもらいます。」
「はい。ナンボでも書きますよ。」
医者はしぶしぶ承知して、「それでは管を抜きましょう。管を抜く前にテストをします。それに合格しなければ、抜きません。」
もう一度横になって、パイプの先から膀胱に水を逆流させます。
「これで、自然にオシッコが出れば合格です。トイレに行って来て下さい。」
2月11日以来の、自分のモノからの直接の放尿の心地よさよ!
「出ました!」
「まだ、膀胱に残っているかもしれないので、エコーで調べます。」
やがて耳元に、残念至極のような口調の「合格だな」との声が聞こえてきて、晴れて自分の身体が自分のものになったような気分で病院を後にしたのでした。

実は血液検査をした日の体調を「縄文式波動問診法」で調べたら、「前立腺がんの傾向が高いなあ」と知っていたし、検査当日の状態を調べたら、「おお、二カ所にあるなあ。」とわかっていましたので、医者の言葉にも動じることがなかったのでした。
結果には必ず原因があるもので、2月11日以前のお半年ほどは、ほぼ毎日の深酒で、たばこも日に50本以上吸っていました。さらには、それ以上の原因として考えられるのが、私の生き方が、いつの間にか傲慢無礼なトンデモナイ自分勝手なわがままな生活ぶりになっていたことでした。
これでは、天の鉄槌を食らわされるのは無理もないなあと思えたのです。

その2月12日以降は、酒もたばこも受け付けない体質になったようで、我慢するというのではなく、自然に遠ざかっているのです。
そのおかげか、「宇宙エネルギー戴パワー」を授かり始めた当時のように、ほぼ毎日のように新しいアイデアが思い浮かび、次々と新製品が誕生し、それを従来の商品に付加することにより、姿かたちもそのままでパワーは格段に上がり、価格も据え置きにしているのです。

久方ぶりにニューヨークから熊倉祥元さんが訪ねてきてくださったり、数十年ぶりに中村天風先生の分厚い講話集を4冊再読したり、友人から送られた塩谷信男先生の『宇宙無限力の活用』という本に書かれてあることを実践したり、人様のためにだけ作っていたスペシャルドリンクを作って飲んだりしていましたので、ここ一ヶ月くらいは体調はすこぶる良かったのです。
体調以上に「気持ち」も穏やかになり、積極的になっています。

「自分の命は、自分で守る」と言うのが、私が今まで全国各地でやってきた「移動学習塾」のテーマでした。
まさに、今からは自分自身の正念場です。

ワクワクしています。

ありがとうございます。

木村 将人