第331号 ちっとも変っていないよう~

 先日、私を物心両面にわたって何十年間も支えてくれている、地元勉強会の常連さんでもあるOさんが、久方ぶりに来社されました。

たまたま(というよりも、必然の出会いでしたが)、株式会社縄文環境開発の前身の

「企業組合縄文環境開発」発足の際の理事長であり、今は青森市議会議員のSSさんが来社されておしゃべりが始まった直後のことでした。

 

 会社へ入るなり、Oさん曰く。

 「最近の先生のメルマガを見ていると、どんどんどんどん高い所へ上って行ってしまって、我々庶民は近寄り難くなって、ついつい、足が遠のいていました。スミマセン」

 

 いつもは毎日のようにお電話をくれたり顔を見せていたOさんが、最近顔を見せなくなったなあ、具合でも悪くしてるのかなあ、と思っていましたので、その言葉は、まさに青天のへきれきの様に感じられてのでした。

 

 「私は、ちっともかわっていないよー。相変わらずスケベだし・・。なあ、Sさん」

 SさんとOさんは「初顔合わせ」の挨拶をしたばっかりでしたが、たちまち打ち解けて、それから2時間余り、実に建設的な、青年真っ盛りのような話題が続いたのですが、この事は近いうちに具体化したら、大々的に発表したいと思います。

 

 Oさんの言葉で(なるほど、そういう見方もされていたのか)と思うと同時に、その真逆なご指摘も受けていたのです。

 330号でビニール袋のことも書きましたが、

「以前、矢山俊彦先生の商品で、化繊の袋に入れていたら効果が下がり、綿素材ならOKと言われたことを思い出しました」

という情報を寄せていただいた方がある一方、

 なんという無責任な、いい加減な奴だ。今までのたくさんのメルマガの記事を読み比べても矛盾だらけで、土台、Wi-Hiも知らずに電磁波被曝を論じるとはおこがましい。何やら送ってきて埋設したけれど、ちっとも世の中良くなっていないじゃないか。かえって、悪くなってるじゃないか。ビニールのことは、メルマガを読んでいないお客さんも多くいるはずだから、その人達に手紙を書いて謝るべきだ。

 

 というようなメールもいただいて、これまた、「図星だなあ。こういう見方をされて、私から離れて行ってしまった人も少なからずいるのだろうなあ」との思いに沈んでもいたのでした。

 このご意見は、まさしく「グーの音も出ない」ほどの正論でしたので、ビニール袋に関しては早速「お客様名簿」を手掛かりに、わび状を発信する準備を進めているところです。

 

 こういう、両極端な「仕打ち」にあっているうちに、少しずつ「見えて来るもの」がありました。

 その一つは、私が今、毎日懸命に作っている「新商品」と称している「製品」の本当の意味は、これは私の「作品」なんだ、という事です。

 

 「商品」として考えていた時には「お客さまを待たせるわけにはいかない」とやみくもに作り続けて、その実、売れるのはほんのわずかで、毎回毎回「在庫の山」を築いてきたのは、偽らざる事実です。

 

 そして、「商品」の馬力数の、数千倍・数万倍の「ご法務グッズ」を作る際には、それらを「製品」と称して、私の心の中で区別していました。

 

 しかし、ここにきて「作品」という言葉が頭に飛び込んできたときに、私の心の中のモヤモヤが一気に解決したのです。

 

 作家が一生のうちに書き上げる「小説」は、限られています。

 作曲家がつくる「曲」の数も限られています。

 彫刻家、画家などが生み出すのも、全て「作品」と言います。

 

 著名な画家の作品をレントゲン写真で調べたら、絵の下に別な絵が浮かびだしてきた、というニュースを思い出しています。

 

 そうか。

 私が今やっている「作業」は、今までの数々の「作品」「商品」を全く無視して、バラバラにして、使える物だけを拾い上げ、また、「製品」の中からも、深い考えもなくあたらしい「グッズ」に封じ込んでいるのは、歴代の芸術家や職人たちがやってきたことと同じことなんだ、と大それた「想い」がふつふつと沸き上がってきたのです。

 「捨てなければ得られない」と先人の箴言を呪文のように唱えて、自分を無理やり納得させながら、惜しげもなく捨て続けています。

 

 20年以上も前に、親戚が集まった時に私の商品を見て、ある従妹が言った言葉があります。

 「将人さん、凄いねえ。でも、将人さんが死ねば、この技術はおしまいなの?この技術を、三人の子供のうちの誰かに伝えて行くの? でも、無理だろうなあ。やっぱり将人さんが死ねば、それでこの商品は、終わりなんだろうなあ」

 実際、私に授かった数々の「商品」も「製品」も、その制作工程を誰かに伝授するということは、限りなく不可能に近いと思っています。

 そのことを思うたびに、ある種のマイナス思考がはびこってきて、時に滅入ることもあったのでした。

 

 ところが、これは「作品」なんだと思ったとたんに、そのようなうつうつとした気持ちが雲散霧消して行くのでした。

 

 誰も受け継がなくてもいい。

 土台、芸術家や著名な職人の「作品」は、その人一代限りが相場ではないか。

 そうだ。

俺は「宇宙エネルギー戴パワー」を活用して、世のため人の為になる「作品」を作る「作家」なんだ。

ちょっと偉ぶって「芸術家」なんだ。

「職人」なんだ。

 

これはそのまま「縄文の施術」にも言えることなんだ。

「この技術を弟子を取って伝えてくださいよ」と何人もの人から言われていますが、土台それは無理な話なんだ。

サイコロでさえ6面あるのに、木村将人という人間の「面」は10や20でもきかないほど無数にあるのだから、そしてそれら全てが「土台」となってオンリーワンの技術が「授けられている」のだから、「一子相伝もクソもありはしない」のだと気が付いたのです。

 

そして「締め切り」ということも頭をよぎるようになっています。

今、地元の津軽新報という小さな新聞に原稿用紙1枚400字分の広告スペースを買って、週に一度、原稿を書いています。

207号まで来ていますので、今まで207回の「締め切り日」を守ってきたということになります。

本を出版したり、雑誌の原稿を頼まれれば「締切日」があります。

 

同じように、「人生にも締切日」があるんだよなあと、それこそ、生まれて初めて気が付いた次第です。

世にいう所の「終活」とは、また一味も二味も違った、私ならではの「締切日」を設定しなければならないのだよなあ、ということに気が付いたのです。

 

そうして一番先に気が付いたことは、

「もう、これ以上広げない事」

 

 そういう世間並みな気持ちになりかかったところに、冒頭に書いたOさんとSさんが現れ、3人の「青年たち」の夢が広がってしまったのです。

ちなみにお二人とも私よりは若い年齢ですが、「75歳の青年」です。

実に若々しいファイトマンたちです。

私はいつも言うように「昭和17年生まれの35歳」です。

 

ある種の覚悟も、未来への限りなき夢も、矛盾だらけのやることなすことも、相も変わらず旺盛なスケベ心も、次々と生まれて来る「ご法務グッズ」作りも、そして、創業1年目に「まだ続いている!奇跡だ」と言わしめた会社経営が、その後20年を経てまだ現職の社長として続いているのも、それら全てが混然一体となっているのが「木村将人なんだ」と、ケツをまくって宣言したいと思います。

 

一面だけを見て判断しないでください。

サイコロだって、6面あるのですから。

 

そして、この考え方は、一人、木村将人に対しての観方だけではなく、全ての人に、全ての事柄に、全ての事象に当てはめるべき「宇宙の法則」なんだと思うのですが、いかがなものでしょうか。

 

ところで。

8月27日の日曜日の午後2時から、私の地元平川市の「さるか荘」という所で、従来の「勉強会」とは少し内容を変えて、会を持ちます。

全国への県外出張は極力控えるつもりで、その分地元の開催の内容に力を込めたいと思っているところです。

今回は、ここ1~2か月間に、縄文の施術やご法務の報告等から「新たに分かった事」の特別講義をしたいという熱情が沸き上がっているのです。

さらに、自己流で地元の方々何人かに施した「イネイト療法」の真似事が起こしている奇跡的な成果の事実もご披露して、今後は全国的な視野で、菅野弘一さんとのコンビで展開していきたいという計画もご披露したいと思っています。

今制作中の「作品」の効能の詳しい説明と、これを売ってくださる方がおられれば、その売り方の説明・やり方を伝授するということも付け加えたいと思っています。

前回の山梨勉強会にお会世話になった伊藤俊彦さんという方も乗り気になってくれています。

このメルマガで全国の読者の方々に参加を募りたいと思います。

 

会費は、いつもの「勉強会」同様に、3000円を頂戴して会場費その他に充てたいと思います。

宿泊ご希望の方は、わが社から徒歩10分とかからないところに「津軽温泉」という温泉宿があります。

かなり安いです。

御希望があれば、予約しておきます。

 

急なご案内になりましたが、これもまた、いつもの「木村流だなあ」とお許しください。

 

よろしくお願いいたします。

 

ありがとうございます。

 

  2023年8月18日