7月11日午後、19年前に設置したウッドボイラーの小屋を、私の不注意と不始末のために全焼させてしまいました。
このウッドボイラーは19年間、燃えるごみや廃材等を燃やしてお湯を戴いてきた貴重な“財産”でした。
小屋の周りのタキロンが燃えたために、ものすごい炎と熱風が舞い上がり、隣接のログハウスの太い柱が見る間に煙を出し炎を上げ出したほどでした。
しかしながら、居合わせた家族や店員たち、それに黒煙を見て飛んできてくれた、近くで畑仕事をしていた近所のおじさんたちの懸命な初期消火活動のおかげで、ログハウスとは反対側の、長男一家が住んでいる母屋への類焼も免れることが出来ました。
私も「火事だ!」という会社のスタッフの声で仕事場から飛び出して、畑を突っ走り、バケツやたらいで、必死に消火作業に参加しました。
おかげで、前の週に痛めた腰の調子が元に戻ったといううれしいハプニングもありましたが、熱風によってあおられて、けつまずいて転んだ際に右の額から頬にかけて焼け爛れている地面に打ち付けたのと、焼けただれた地面に肘をついて受け身を取ったものですから、ひじから下の拳にかけての部分がぺろりと皮がむけて真っ赤な肌を晒すことになりました。
鎮火後に救急隊員によって応急処置を受けたのですが「病院へ行きますか」との問いには即座に、「いいえ、行きません。このくらいは大丈夫ですから」と拒否しました。
そしてその時に、〈これはいいチャンスだぞ〉と思ったのです。
今やネット販売のエース級にのし上がっている感のある「宇宙エネルギー水」を自分の身体で試す絶好のチャンスだ、と。
全国各地のたくさんの方々から多岐にわたってのその効果のほどをご報告いただいてまいりましたが、私自身としての大きな成果を感じたことは、まだなかったものですから。
ひと段落して皆さんお帰りになられた後に、救急隊員がグルグル巻きにしてくれた包帯とガーゼをはずして、たっぷりと宇宙エネルギー水を噴霧しました。
真っ赤に変色していた肌は、チリチリとした痛みを感じましたが、それは、心地よい傷みでした。
鏡を見ると、右の額から目の脇を通って顎のあたりまで、丁度手のひら半分ほどが隠れるほどの範囲が、赤茶色に変色しています。
ここにもたっぷりと噴霧しました。
その夜、さすがに今晩はやけどの痛みを我慢しなければならないだろうなあと覚悟を決めて布団に入ったのですが、驚くべきことに、やけどの痛みは、顔も腕も両方とも、全くと言っていいほどに感じることなく、ぐっすりと眠れたのでした。
12日以来、事あるごとにシュッシュッと吹き付けてきました。
顔の方は、見る間に快方に向かい、毎日少しずつカサブタがはがれ、一週間もしないうちに、「やけどで大きく変色した」と、口で説明しなければわからないほどに「元に戻った」顔になりました。
問題は腕の方です。最初の内は包帯などで軽く傷を覆っていたのですが、3日目くらいから日中は太陽に晒した方が治りが早いはずだと思って、そのままにしていたのです。
見た目にはいかにもイタイタそうに見えるだろうから、外出するときだけはガーゼと包帯で隠すという事をしていたのです。
ところで、5日目を迎えた朝に「これは書いておかなければならない」と思ったほどの貴重な体験をすることになったのでした。
早暁3時過ぎに、今まで感じたことのない腕の痛みによって目が覚めたのです。ズッキンズッキンとした痛みです。この時に、「ああ、そういう事だったのか。」という大きな気付きをいただきました。
前夜、娘が買って来てくれた「抗菌ガーゼ」を張り付けて、その上に筒状の包帯で固定していたのでした。
それまでも、この「抗菌ガーゼ」は使っていましたが、せいぜい30分くらいではずして、あとは素肌を太陽に晒していたのでしたが、この時は8時間位連続で使用していたのです。
「抗菌」とは、悪玉菌を殺す役割はもちろんありますが、善玉菌をも皆殺しにする恐ろしい仕打ちなんだとは、日ごろ「勉強会」などでも大いに吹聴して来たことでありますが、そのことが、身を持って分かったのでした。
やけどをしたその日から、私の体内におられた赤血球さんや白血球さんはじめ、たくさんの免疫力さんたちが、「焼けた肌を元に戻そう」と一生懸命に働いてくれていたのです。私がいつも例えて言っている「体の中の自衛隊さん達」が必死懸命に働いてくれていたのでした。
ところがその夜「抗菌ガーゼ」という大敵が現れました。
さしもの自衛隊さん達も数期間ののちには、力尽きて全滅させられたのかもしれません。それがあの「痛み」であったのでしょう。
この時に私は一つの「物語」が浮かんできたのです。
そうか、この抗菌ガーゼというのは日ごろ正義面して、したり顔に「正義だ」「平和だ」と叫んでいる現在の野党の党首たちのようなものではないか、と。
日本の国難に際しては身を粉にして働き、命をも顧みずに必死に日本国民の安心安全のために働いている本物の自衛隊さん達を、悪しざまに軽んじ、憲法の中の居場所さえをも認めないようとしていない野党各党の何人かの党首の顔が浮かんできたのでした。
そんなことを考えながら一皮むけた腕にへばりついた「抗菌ガーゼ」をはがしにかかりましたが、まさにメリメリバリバリと音をたててはがしているような強烈な痛みを伴ったのでした。
その後、宇宙エネルギー水をたっぷりと噴霧しましたが、ポトリポトリと赤い雫が垂れてきます。それを、トイレットペーパーを丸いままに押し付け回しながら吸い取っていきました。何とも言えぬ優しい感触で、ベテラン看護婦さんの笑顔を感じたのでした。
その後、もう一度噴霧し、普通の包帯でグルグルまいていた時に、また、「わかったこと」がありました。
「痛み」には、プラスの痛みとマイナスの痛みがあるのだ、という事。
先ほどの目を醒まさせられたほどのズッキンズッキンという痛みは、体内自衛隊さんたちの断末魔の叫びの顕われであり、いわば「マイナスの痛み」であったのだ・と。
それに対して、再治療後の「チリチリ」という心地よい痛みは、新たな体内自衛隊さん達の奮闘による痛みであり、快方へ向かうための「プラスの痛み」なんだという事。
こんな状態で、18日から20日まで、東京・京都・大阪と回ってまいりました。
今日は24日。やけどから13日目です。
やけどでただれた皮膚は、回復までに4週間はかかるのが常識なのだそうですが、顔の方は10日間ほどでほぼ完治し、腕の方も今日現在で8分通りは治っています。
普通のガーゼと普通の包帯と、それに「宇宙エネルギー水」だけの結果です。
火事の翌日、県内の2社の新聞に載ったものですから、いろんな方から「火事見舞い」を戴いて恐縮したことでした。
今回は、私の不注意と不始末の顛末を書かせていただきました。
ありがとうございます。
木村 将人