先日、ふと思いついて、過日、2回読み直した政木和三先生の『人類を救うヒット商品開発法』という本に傍線を引いた部分とページの欄外に書き込んだ自分のメモ書きをまとめてみようという気になり、やってみました。
文末に「添付資料」として載せておきます。
この作業をしているうちに、「発明」という言葉が、その「広義の意味」が妙に気になってきたのです。
二カ月ほど前だったか、何かの新商品のレシピの完成を「大師匠様」にご報告した時に「いよっ、令和のエジソン!」とメールでおだてられたことがあるのですが、その時には微塵も浮ついた気持ちにはなれないでいました。
それに、私は今までに、
「社長!また、すんげえものを発明したな!」
「これは、発明ではないのですよ。授かりものですよ。
土台、私に発明など出来る才覚があると、あなたは思いますか?」
「思えねえなあ。いっつも酒ばっかり飲んでるし、スケベな話ばっかりしてるしなあ」
「私は寝食を忘れて研究したり、滝行などの修行をしたりしたことは一度もないんですよ。いつの間にか、フッと思いついた形で製品が生まれるんですよ。だから、発明ではなくって、授かりものなんですよ」
「そうか。それならわかる気がするなあ」
という、この技術を授かった当時の、ある農家さんとの会話を何度となく引き合いに出してきました。
それくらい「発明」という言葉と意味には関心がなかったのです。
もう一つ、「これは発明ではない」と思い込ませられた事実があったことを思い出しました。
これも初期の頃に、懇意にしてもらっていた「青森県発明協会」の方の所へ行って、「こんなすごいものが出来ましたよ」と特許申請の相談に行ったときのこと。
ちょうど居合わせた東京から来たという若い弁理士さんの言った言葉です。
「木村社長、この技術は絶対に特許は獲れませんよ」
「なんで、ですか?」
「今の特許庁の若い職員たちは、宇宙エネルギーなどという目には見えないものには絶対にハンコを押しませんから」
それでその日は、
「でも、木村社長が思いついた言葉とマークなのだから、商標登録だけはしたほうがいいですよ」
との進言を受けて「宇宙エネルギー戴パワー」という言葉と、今も大活躍しているわが社のマークは商標登録の申請をして、その後取得できたという経緯があるのでした。
それ以来、私の頭には、
「発明」イコール「特許」。「特許」イコール「発明」
という図式がこびりついてしまっていたのです。
「特許」が取れないから「発明」ではない、と。
いわば、トラウマが生じていたのです。
ところが、政木先生の本には、
「特許申請して取得後すぐに無効にしたものだけでも960件、特許申請しないものも含めれば1000件以上の発明をした」
という表現があったのです。
以前に何回か読んでいた時には気がつきませんでしたが、書き写し作業をしてるうちに、このことが妙に気になりだしたのです。
そこで「発明とは」という言葉をネットで検索してみました。
「特許を受けられる発明」という言葉が、真っ先に飛び込んできました。
「ん? では、特許を受けられない発明というものもあるのか?」
とさらに読み進んで行くと、まあ、あきれるほどの「発明」の種類が出てきたのです。
有効発明・用途発明・改良発明・職務発明・係る発明・選択発明・業務発明
そしてそれぞれに解説文がついていました。
次に「発明家」という言葉で検索してみました。
これもまた、あきれるほどにたくさんの、洋の東西を問わず何十人もの名前が列記されていて、それぞれの「発明」の内容が記されていました。
その中に「前田正名」という明治時代の官僚の名前があり、なんと「特許制度を考案した人」とありました。
ここにきて、私はある想いが確信に変わったのでした。
「私に授かって来た数々の製品・商品は、〝発明“という名前を冠してもいいのではないか!」
早速「縄文式波動問診法」でお聞きしましたら「YES」と出ましたので、念のために大師匠にもお伺いを立てて見ました。
「そうですね。発明という表現でよいと出ますね」
とのご返信をいただいたのでした。
そこで、これからは自信をもって、
「私の発明品です」
「新しい発明品が誕生しました」
と表現することに致します。
誰かがどのように評価するかを気にするのではなく、私自身が自分自身をどう評価するかが大事なのだと思うようになりました。
数年前、メルマガにも書きましたが、オリンピックのトライアスロンの水泳種目の会場に使われるお台場の水質が、「汚い・臭い」と外国人から言われて聞き捨てならぬと行動を起こし、ある有力政治家の伝手を頼って、わが社の水質浄化工法を認めてもらうべく、東京都の河川課・港湾課を回って、ついに東京都のお金で実際にわが社の工法を試してもらえるところまで来た時に、我々の前に立ちふさがった小役人(あえて言いたい!)の言葉でストップさせられたことが思い出されました。
「誰がどう認めてここまで来たかは知らないが、私を納得させられなければ、この案件は次へは進ませません」
大相撲の新弟子検査で、実力十分なのに身長が1センチ足りないだけで不合格にさせられるのと似ているなあと思ったものでした。
日本の特許庁の役人たちも同じです。
つい先日も、知人に依頼されて、ある「街の発明家」の案件を特許庁が認めなかったので、何とかしてくれとある大物政治家に相談に行った事があったのですが、勿論、らちがあきません。
ところがその方が同じ案件で「国際特許」を取ったら、なんと、日本の特許庁が向こうから特許を出したという事実があったばかりです。
まあ、そんなことは今更どうでもいいことなのですが、私に授かった数々の「新製品」「新商品」は、まぎれもなく「私の発明品です」と、大きな顔をして発信し続けることに致します。
まず手始めに「最近の発明品です」という名目で、その商品名とその効能を一覧表にしたものを添付資料として掲載します。
どうぞ、今までのように「木村がまた変なものを作ったぞ」という軽い気持ちではなく、「木村将人がまたまた新発明の商品を世に出したぞ」
という全く新しい感覚で、この一覧表を眺めて見てくださいませんか。
何やら、ありがたみが違ってくるかもしれません。
もっとも、私自身の生き方は今までと微塵も変わりませんが。
そうそう、今朝早く、会社へ出て来る途中で思いついたことがあるのを最後に書かせてください。
世の発明家たちの何人かを紹介する時に使われる、
「何十年と研究を続け、滝に打たれ寺にこもって精神修養をし、家族を一切顧みることなく研究に没頭したおかげで、このすばらしい新発明につながった」
というフレーズの内の、最後の部分だけは“立派に”私にも資格があるなあ、と思い至ったのでした。
一年365日、盆も正月もなく、朝早くから教職時代は学校へ出かけ、会社経営者となってからは会社へ向かっていました。
帰りはほとんど遅い時間でした。
世間一般で言うところの「家族のだんらん」というものが全くないような生活を何十年と続けてきています。もちろん、今も同じ生活パターンです。
このこと一つだけでも、私は「発明家」の仲間入りができるのではないかと、変な、もの哀しい論法までもが、脳裏をかすめています。
いずれにしましても、今後私は、
「また、新しい製品・商品を発明しました」
と、臆面もなく発信することに致します。
誰が認めなくとも、私は自分自身で認めます。
ありがとうございます。
2022年8月27日