7月23日土曜日、宮崎市まで行ってきました。
「宮崎中央新聞社30周年 ありがとう講演会・祝賀会」に参加するためです。
前日東京入りして、羽田から宮崎空港へ飛んだのですが、この「機中研究室」でまたまた幾つかのご法務製品レシピが誕生しました。
前日会社から出る間際に、今回の旅で読む本を、と思って本棚の前に立った途端、そこだけ白く浮き立ったような気がしてその本を手にして旅立ったのでした。
その本というのが、1000件近い特許を取り、そのすべてを特許を取った瞬間に放棄して各企業に自由にその技術を使わせてきたことで有名な天才発明家・政木和三さんの『人類を救う ヒット商品開発法』という本でした。
1995年発行ですので、もう27年も前のもので、何回か読み返した記憶があります。
ところが、今回読み始めてみますとはじめて読んでいる感覚で、実に新鮮に感じられるのです。どうやら、私の頭の脳みそが、以前と比べて少しばかり柔らかくなっているのかもしれないなあと思いながら傍線を引いたり枠外に書き込みをしながら読み進んで行ったのです。
そんな中で「ああ、そうか。あれはこうして作ればいいんだ」と気がついたり、全く新しいレシピが浮かんできたりしていたのです。
その内に、政木博士は、自分が発明する時は、ほんの10秒くらいの時間しかかからないという事を繰り返し書かれているのです。
さらに、「脳波がシータ波になれば、時間が何万倍も、それ以上に縮まる」というような意味のこともまた、繰り返し出てきたのです。
要するに、政木先生の「10秒間」というのは、常人の何万時間にも匹敵しているのだというのです。
常人が何年間、何十年間も研究を続けて得られる結果が、政木先生には10秒間で、ひらめきの形で現れるというのです。
しかも、この能力は全ての人がシータ波になれば可能なんだと、これも繰り返し書かれているのです。
ああ、そうだったのか。
私も全く同じパターンだったのか。
私もシータ波を意識的に作り出すことが出来るので、数年分の研究開発の時間が数秒間に短縮されていたのかと、天才発明家と同じじゃないかと、小鼻がぴくぴくするような思いでニンマリしていたのです。
ところが、その先を読んで現実界に引きずり降ろされたのでした。
ただし、それには一つだけ条件があるのだというのです。
自分のように、物理・化学・工学・医学等々の、いわゆる科学的知識全般の起訴をしっかりと学んでおく必要があるのだ、と言うのです。
私は思わず心の中で叫んでいました。
「おい、おい。それやぁ、ねえだろう。おれなんざ、自慢じゃねえけど、物理も化学も工学も、ましてや医学的知識などは小学生よりも劣るんだぜ。どういてくれるんだよ!」
とまあ、こんないきさつもありながら、東京宮崎間の「研究室」では、行きも帰りも「驚くべきデッカイ、レシピ」が誕生したのでした。
ところで、宮崎空港から宮崎市内までのバスの両側からの町並みは、すべてが「プラス1億馬力」でした。
数か月前の、長崎空港から佐世保市内までは、どこもかしこも強烈なマイナス波動であり、道の両側には異常なほどに医院・病院の看板が多かったのを思い出したことでした。
宮崎県がこれほどのプラス環境になっているのには、はっきりとした理由があります。都城市在住の今村大恵さんが数年前から私費を投じて、宮崎県内をイヤシロチにしたいと『土地建物用』を数セットも買い上げてあちこちにセットしてくれたり、ご法務も率先してやってくれていたからです。
帰りの宮崎空港で1時間ばかりおしゃべりの時間を持ってくれたのですが、以前の宮崎は、夏の太陽が照り付けると「暑い」という感覚よりも「痛い」という感覚であったのが、去年も今年もそういうのが全くなくなって、太陽の光が心地よい、というのです。
実際にお昼時でしたが、照り付ける太陽の光は、北国育ちの私にも心地よいものでした。
第二第三の「今村大恵」さんが現れてくれるのを期待しています。
ところで、表題に書いた「縄文栽培のメロン」を今年も販売いたします。
お申込用紙を最後に載せていますので、どうぞ、ご利用くいださい。
「化学物質過敏症の人が、メロンは喉を通らないのに、このメロンはスーッとのどを通る!」
10数年前のあるお客様の証言以来、毎年、待ち遠しくされておられるお客さんが増えてきています。
はじめての方も、是非どうぞ。
病みつきになること、必定です。
出版本は8月8日発行で、わが社には8月6日の土曜日に配達されると連絡がありました。
既に「出版金支援プロジェクト」に参加されてご支援くださった方々への発送の封筒は準備しています。
手元に届きましたら即刻投函いたしますので、今しばらくお待ちください。
ありがとうございます。
2022年7月27日