350号の発信が1月7日でしたが、今日は既に31日です。
昨年暮れから正月にかけて、更に、正月休みが明けてからも、片時も休むことなく、走り続けてまいりました。
毎日が「やりたいこと、やらねばならないこと」のてんこ盛りで、一日24時間が、矢のように流れてゆくという感じです。
そんな流れの中で、ユーチューブを再開しました。
調べてみると、これも前回の放映から3か月間も経っていました。
1月29日の早朝から発信されていますので、どうぞ見てやってください。
2月5日には、再開2回目が発信されます。
1月21日には、東京新宿・高田馬場で、人さまから請われての、旅費を払っていただいての勉強会をやってまいりました。
主宰して下さった方は10カ所の動物病院グループの代表を勤めている方で、参集してくれた方々は、男性は会社経営者、女性は各種サロンの経営者という方々ばかりで、しかも「目に見えない世界」に興味関心をお持ちで、私の著書を読んで下さっている方やブログを読んで下さっている方々が多く、実に楽しくもレベルの高い勉強会になりました。
懇親会も大変に盛り上がり、私はコーラを飲みながら、会場の雰囲気に合わせて酔っぱらったようにテンションが上がり、更に交流を深めて帰ってまいりました。
この会が私の心に、新たな火を灯してくれたのです。
「縄文のお役立ち商品」と銘打っているわが社の数々のイヤシロチ商品も、買っていただいて、使っていただかなければ、お役には立てないのだ、という超現実に目覚めさせられたのです。
言い方を変えれば、「売れなければ、お役に立てない」ということです。
「教育公務員上がりなので、売るという行為に後ろめたさがあって・・・・」
と何度も言ったり書いたりしてまいりましたが、その考え自体がいかに甘っちょろいものであるかを、脳天をぶん殴られるような大ショックで、自覚させられたのです。
誰かが直接私にそんな言葉を投げかけたというのではありません。
その場の雰囲気から、私が勝手にそのように感じ取ったのです。
帰ってきてすぐに、昨年で廃止した「代理店制度」を見直して、売ってくれて広めてくれそうな人を厳選して、卸し価格も破格なほどに安くして「特別代理店様」を個別にお願いして、現在、10人ほど協力者を得ています。
このシステムは既に稼働していまして「お役立ち商品」が、かつてないスピードで、全国に旅立って行っています。
ご法務活動もますます幅が広がって、これも、希望者には協力金を払っていただいて広めています。
面白いものは「龍神様 復活 ありがとうございます」というグッズです。
水辺の付近に埋設しますと、かつて居て今はいない湖には復活してきますし、今までいなかった水辺には、どこからともなく飛んできて住み着いてくれます。
富士五湖全部に一人でご法務してくださった方もおられます。
お馴染の山梨県の伊藤俊彦さんです。
全国に1000カ所以上も点在する「古墳」の本当の意味を知って、ここに封じ込められている縄文の長(おさ)、出雲族の長の封を解き放ち、ともに埋められて不成仏霊となっている、一ヵ所数百人の出雲族の方々を成仏させてあげています。
「縄文の蘇り指数」というのを何回かメルマガに載せましたが、その中で青森県の津軽地方は100のレベルになったのに八戸市周辺の、いわゆる「青森県の南部地方」は10のレベルしかありませんでしたが、暮れに八戸の女性が三か所にご法務してくれたおかげで、今は80のレベルまで上がっています。
50しかなかった岩手県には、私自身が行ってきました。
縄文の施術を通して親しくなった方が、運転して下さったからです。
目的の古墳が近づくにつれて、その辺りの集落の波動数がどんどん低くなって
きます。
「古墳時代」以降、ずっとこういうマイナス波動の元で暮らして来たんだなあと思うと、もっと早く気が付いて、改善してあげられなくってごめんなさいねえという想いがこみあげてまいりました。
マイナス1兆馬力とマイナス1千億馬力の二か所の古墳を、いずれもプラス10億馬力に転換することが出来ました。
帰途、付近の集落を調べて見ますと、軒並みプラスに転換できていましたので、ホッとしたことでした。
「縄文の施術」の広がりも本格的になってまいりました。
自分がやり、家族全員をお願いし、更には従業員の主な人たちをやってもらう、という会社社長さんのスタイルが定着しつつあります。
社長さんが施主になってお金を出して申し込めば、施術される人には一言も言う必要もなく、しかも、施術が終わったその日から、別人のように明るくたくたましく変容してくれるのですから、大変に喜ばれ、ありがたがられています。
さらに特筆大書したいことがあります。
「特許申請中」と銘打って売れる商品が二つも出来た事です。
東京の「共生国際特許事務所」の所長さんとは15年も前に、沖縄の仲宗根宏さんを通してお知り合いになっていたのですが、私には特許をとるという観念はなかったし、ましてや国際特許などは別の世界の話だと思っていましたので、10数年間も年に数回のやり取りしかしていませんでした。
ところが昨年秋に、ふと思いついて、久方ぶりにご相談の手紙を書いたら、思いのほかに喜んでくださって、すぐに上京してさまざまな相談に乗っていただいたのです。
15年前には赤坂見附駅前のビジネスビルの地下1階から2階までの会社であったのが今回行ってみると、なんと地下1階から8階まで全館使って、社員さんも東大
卒・京大卒を中心に、特許庁のお役人以上の実力のある社員を60人も抱えていて、
特許合格率96%を誇る(佐藤所長談)事務所に成長していました。
ご本人は京都大学大学院で特許に関しての講義もされていると言って、その講義
資料をプレゼントされたのでした。
まあ、そんな経緯があって「特許出願中」という文言を冠することができる商品が二
種類誕生した、というわけです。
詳しいことは晴れて特許をもらった時に書くとして、このくらいにしておきますが、「特許出願中」の商品は、どんどん売ってゆくことにしています。
まだまだご報告したいことが山ほどありますが、今回はこのくらいで終わります。
ありがとうございます。
2024年1月31日