先日、畏友である東京の高木書房出版社の斎藤信二社長さんから、彼としては珍しく興奮した口調のメールが送られてまいりました。
「今回も発起人ですね。私も、頑張らねば!」
一瞬、なんのことだっけ、と思ったのですが、ひと月ほど前に雑誌『致知』の創刊45周年記念の講演会&パーティの発起人の一人になってくれとの依頼にOKのハガキを出していたことを思い出しました。
5年ごとに行われる盛大な記念大会のたびに、ご依頼に応じてOKして、のこのこと出かけていたのです。
35周年の際には招待席で隣り合わせて方と名刺交換して、その後、同じ唱和17年(1942年)生まれだということもあって急速に親しくなった松浦正人氏(当時山口県防府市市長 全国市長会会長)との交流から、全国的に名を馳せているたくさんの方々との知遇を得てきていました。
松浦さんも私も、何度かこの雑誌に登場させていただいていたのです。
藤尾秀昭社長さんと柳沢まり子副社長さんとは、森信三先生のご縁から、この雑誌の創刊の頃から知己を得ていまして、以来、私のやることなす事、全てご報告し続けてきてきましたので、「今回も発起人の一人に」というご依頼にも、大した意識もせずに「ああ、いいですよ」と気軽に応じていたのでした。
ところが、今回斎藤社長さんからのメールを読んで、改めて送られてきた雑誌『致知』に挟まっているチラシを、今までにはない感覚で見てみました。
そして、そうか、これは斎藤さんが興奮するのも無理はないんだなあと、今になって初めて「発起人の一人として名を連ねている事」の重大さに気が付いた次第です。
その資料を添付いたします
なんとまあ、錚々たるメンバーです。
今の日本の、政治・経済・スポーツ・宗教その他の世界のトップレベルの方々のお名前がずらりと並んでいます。
いわば、超常識人たちの集まりです。
日ごろの木村将人という人間に冠せられている評価とは、真逆な方々ばっかりです。
5年前も10年前も、その年の超有名人たちが名前を連ねてはいたのですが、別に気後れすることもなかったし、その一員になっていることに特別の感慨も持ってはいなかったことを思い出しています。
でも、今はちょっと違った見方をしています。
ニヤリと笑って「これを活かさない手はないよなあ」と。
藤尾社長さんと柳沢まり子副社長さんの「木村将人への評価の大いなる誤解」を活用させていただこうという不敵な企みが沸き上がってきたのです。
その第一として、このメルマガの読者さん達へ「木村将人のもう一つの顔」を晒そうか、という事です。
「この男は、呑兵衛でスケベな男だ、という評価は、私にとっての最高の誉め言葉です」と断言し続けていた時期がありましたが、今も、酒は飲めなくなってはいますが、その本質にはいささかの間違いもない男の、「もう一つの顔」を知ってもらっても損はないよなあ、という軽い気持ちから書いています。
そして、社長業をやって20年を過ぎて、ようやく「お金を儲けること」へのわだかまり感が払しょくされましたので、「会社の営業活動」に大いに活用させていただこう、とも思っているところです。
「またバカなことを始めた非常識な男だと思っていたが、こういう超常識な世界でも、一応は認めてもらっているのか、」
という無言のメッセージを、今回の「発起人のメンバーの一人に選ばれた事実」は、雄弁に発信続けてくれるのではないかと、ほくそ笑んでいる次第です。
ところで。
「宇宙さん、ありがとうございます」スプレーとクリーム使用についての「秋田土砂降りの会」の会員さんからの「感謝のご報告」が続いて、困っています。
中でも、「瀕死の老いた猫ちゃんの飲み物、食べ物、体中に吹き続けていたら、何日もしないで復活しました」という情報には、参りました。
だって、これは「口に入れてはいけない商品」だからです。
このご報告にしても、あくまでも「ペットの猫ちゃん」のことですので、決して、人間様には応用しないでくださいね。
病院から帰されて自宅療養になったご老人が、認知症が嵩じてか昼夜逆転して家族が憔悴しきっているという相談を受けて、「脳の働きが元に戻るかもしれないなあ」という商品を使用してもらい、ある民間療法を施したら、夜になって眠ってくれるようになったので、家族一同大助かりです、というご報告もいただいていますが、これもまた「そんなバカな話があるか!」の世界の一つなのでしょう。
背中にリュックをしょって、両手に10㎏前後の荷物を持って、駅の階段を昇り降りしながら「あれっ、去年の今頃はエレベーターとエスカレーターの場所を必死に探していたっけなあ」と思い出しながら、全国を駆け回れる幸せをつくづくと感じて、日々、楽しく軽やかに生きています。
ありがとうございます。
2023年(令和5年)6月7日